何しても不満

高専中退。一年浪人して二〇二〇年から私立文系大学生。

八月六日

今日は髪を切りに行きました。もう何ヶ月も放ったらかしの伸び放題にしていたので、女の子然としていました。右の揉み上げなんかをちよっと耳にかけてみて、暖簾の空いた隙間から右目を覗かせていました。たまに外へ出ると、髪が頭を蒸して困っていました。伸び放題の藪だったのですが、ザクザク鋏を入れられて、ある程度は落ち着きました。母の勧めで、少しアシンメトリーの要素を混ぜた髪型を注文したら、右側の揉み上げを刈り上げられてしまいました。それ自体問題にはならないのですが、少し伸びた時が厄介になりそうです。

その時はまた切ればよろしい。

特段散髪を嫌うわけでもないのですが、難しい本の難解な行を読み飛ばすように、無意識のうちに延期延期のポストポンを繰り返していました。原付バイクで五分程の距離にある美容院。待たされる程の混雑もない美容院。美容師の会話癖を鬱陶しくする人もいるらしいですが、私は別段嫌いではありません。それでもやはり、何か明確な目的を背中に抱えて玄関で靴を履くのは非常に大儀なのです。(靴といっても私はこの時期クロックスを履きますが)なんだか人間らしい怠慢ぶりとも思えますが、理性のない動物的でもある気がします。倫理的な善い悪いはわからないので無視するにしても、面倒だから、嫌だからと何事も未来の自分に押し付けてしまう性癖は好ましくありません。

しっかりしろよ、しっかり。

そんなことを書きつつ、自分自身のことは嫌いじゃないので、これもまた私らしいといえば、そんな感じがして許せるような気もします。というこの記述も含めて初めて私らしいといえるのでしょうか。さらにこういう自分を客観視した風の態度を含めて自分らしい? なんだか太宰の真似事みたいになっております。道化の華ですね。これは高校(高専)生の時に読んで、すごく嫌いだと思った記憶があります。それで太宰治が嫌いになりました。そしてこれが、どういう人間が書いているのかを意識しながら読むと、その産物自体も嫌になってしまう感性の芽生えた原因の一部にもなってしまいました。今では大分改められていますが、やはり知り合いの書くものは基本的には好きになれません。出来栄の善し悪しに関わらず、文の向こうに誰かいる感じが心地良くはないのですね。作為が嫌というと単純化し過ぎで語弊があり、説明が難しいです。かなり話が逸れていますね。何にせよ、年頃のせいかそういう私自身の問題が気に掛かります。

面倒だけど、案外面白いものです。

今日のバイトが終わり、店を出る前にレジに用事ができて寄ったのですが、とても可愛い子がいました。霧吹きで脱色したような髪が肩くらいまであって、黒目は鏡でできた綺麗な女の子でした。刹那的にもその子とどうにかなりたいとは思いませんでしたが、剥製して部屋に飾りたいとは感じました。会話もしない人間相手に感じる欲求は、多少滑らかに動くフィギュアを見るようなものですね。かといって、会話すれば何かわかるわけでもありません。あまり他人に期待していないのでしょうね。寂しい、大丈夫。寂しい。

話が全く変わります。

父の日に二万円のウィスキーを送ったことをここに書きましたか。きっと書いたと思いますから、その体で書きます。そのウィスキーを、父は私が二〇歳になるまで保管しておいて、ほとんど手をつけずにいてくれました。友人にその話をすると、良い父だと言ってくれました。ですが、なんと父は大腸のポリープを摘出する手術を受け、当面はあまり酒を飲めない体になられました。私は飲むに飲めず、仕方がないので放置しています。二万円の酒も、飲まなければただの高そうな陶器です。なんとなく滑稽で面白かったので、ここに書いておきます。あとついでに、父が癌でないことを願っています。