何しても不満

高専中退。一年浪人して二〇二〇年から私立文系大学生。

二輪免許を取るかもしれない

今、ちょっと気が向いて、また久し振りに短編みたいなものを書こうと考えたのですが、まるで何も浮かびません。やはり、長くまともな物を書かないと、どんどん言語的な感覚が鈍って、駄目みたいです。授業を通して偉大な作に様々触れてみて、羞恥心が芽生えたとか、そんな気分はしません。敵わないとわかっているから、新人賞に出せるような長さも意識せず、投稿もしないで生きて来たわけです。だから、自分の物が貧弱なのは、最初から知っていたことなのです。感受性が弱っているのかしら。それとも、人を見る機会が少ないせいで、憎しみが溜まっていないのかしら。夏目漱石『私の個人主義』の中に、以下のような文があります。

それから私は愉快だから描いたのではない、不愉快だから描いたのだと云って私の心の状態をその男に説明してやりました。世の中には愉快でじっとしていられない結果を画にしたり、書にしたり、または文にしたりする人がある通り、不愉快だから、どうかして好い心持になりたいと思って、筆を執とって画なり文章なりを作る人もあります。

自分はどっちかな、と考えてしまいますね。絵なり、字なりを書くのが好きな人は特に。私も、下手の横好きといえるほど熱心にさえなれない程度ですが、楽しく絵や文をやる方ですから、色々を思い返しました。ここに書いたものや、ごく稀に他のサイトで描いた絵などを考えて、やはり、不愉快を材料にする性格だと思います。これは、嫌いな人の悪口を言いたくなるとか、そういう意味ではありませんよ。ここに散々、人の陰口を書いていますが、そうではありません。つまり、私の場合、百億円の遺産が入っても何も書けず、恋人が死んでこそ創作欲が湧くらしいです。精神がおかしい時の方が、自分に向き合えるのかもしれません。今なんて、健康そのものですからね。何の苦しみもない。思えば、薬も飲まなくなって長い。私はマトモな人になったのでしょうか。何をもってそう認定されるかが分かりませんが、今は髪型も、職業も、発言も、ここに書くことも全て、牛蛙の鳴き声みたいなものです。おまけに、自分から自分の所属する単位をありがたがっていますから、私も末です。ポルノグラフィティを真似ると、私は私とはぐれてしまっている状態です。この間の日記は、あれは意図的で誇張混じりですが、しかし、自分の現状をどうにか書き表そうという作為を持てば、あの書き方をせねばならなかったわけです。集団に帰属意識を持つのは、これは仕方がない。しかし、それによって自分を規定してしまうのは、つまらないと思いませんか。私は思います。自己紹介で所属を先に言うのが滑稽だとか、そんな話を聞いたことがありますが、それは関係ありません。学校の名前や、家の名前や、そんなものを使うのは、就職の時と、結婚相手を決める時くらいに限定したいのです。それが自意識にまで食い込んで来ていて、爪が刺さって、抜けない。痛い。抜かなきゃいけないと、強く思います。

さっき、中学来の友人からLINEが来て、普通二輪免許を取ったらしいです。羨ましい。私も欲しいとは思っていたのですが、面倒なのと、金がかかるのとで放っていたのですが、熱が出まして、教習所に申し込んでしまいました。普通免許は親が取らせてくれたので、学科も無く、かなり安く取れるようです。バイクはTZR50Rという、ミッション付きの迷惑な原付に乗っていたので、操作自体はすぐに慣れると思いますが、この暑さでどこかに通うというのが、今になって信じられません。お金はまだ払っていないし、止めるなら今だぞ、自分。(250ccは原付と違ってかっこいいバイクが多いな! YZFが好きだけど高いし、ホンダのCBRを買うつもりでいようかな! 楽しみ!)

八月十七日

今日は午後から歯医者の予約をしていたのですが、寝過ごしてしまいました。情けない。以前、歯茎が痛むので罹ったら、その日に歯に穴を開けて神経を抜かれてしまいまして、今はその穴を塞ぐため、定期的に通わされています。面倒この上ないのですが、仕方がない。歯の生え方のせいで、上と下が噛み合うたびに歯茎に力が掛かっていたらしいです。よくわからない。ただ、神経を抜くなんて、なんだか人らしい体から離れたみたいで気味が悪いです。人工的な人体は好きません。クローンとかね。整形なんかも、見目は好いですが、好きではありませんね。スマホ指みたいな、身体の長期的な負荷による変形も好きません。オリジナルが好きなのです。かといって散髪が悪いかとか、歯列矯正が悪いかとか、そう問われると、そうでもないのです。歯列矯正は、自分もさせて貰ったから、というのが原因の一端にはあると思います。幼少の頃でしたから、それが私のオリジナルだと認識しているのかもしれません。しかし散髪はどうだろう。まだ切っても伸びる年齢だから、あまり気にしないのだろうか。それとも、失敗続きの人生であることが引き金となって、取り返しのつかないことを嫌う習慣がある可能性も挙げられる。「止めた」で名実ともに終わるものでなければ、落ち着かない感を生じるような。そんな意識は、確かにある。手術なんかはどうだろう。病気や事故による破損、これはオリジナルから遠ざかった姿であるが、その補修、また生命体の根幹の一部であるともいえる命の延長を目的としたこの働は、非常に不安定な土台に揺れているだろう。スマホ指の例からわかる通り、意図的な操作によるものに限定されないオリジナルからの離脱は、確かに不快なものであるが、それを今度は人工的で意図的な操作によってオリジナルに近い形を再現しようとするこの運動もまた、不愉快でなければいけない。そもそも、私がオリジナルと呼称するものが怪しいことにより、解決が困難になっている。私はこれを書き始めたとき、オリジナルという言葉を、他から大きく直接的な影響を受けず、しかし無常な、それでいて一貫した主体的な意識を持った、そう、精神的範疇も含めてオリジナルと呼ぶべきだと思っていて、酒やタバコやドラッグによる脳の萎縮なども不愉快なのだが、そういう外的要因が起因したものに関わらず、加齢(これも、もちろん、長年の外的な影響の蓄積とも呼べるのだが、同時に、それだけでは片付かぬ加齢による意識の変化もある)による自意識や感受性の変化にも違和感があり、しかし本などで得た知見を取り入れて我がものにすることには抵抗がなく、つまりオリジナルを規定することができないのです。私の恣意的な理想に過ぎない。下らない。しかしまあ、どうやら私はそれが好きらしいので、どうしてそれが好いのか、考えなくてはなりません。いろいろ例をあげて、共通点なり相違点なりを探すのが良いでしょうが、面倒なのでもう今日は止めにします。他に書くことがあるのでね。

それが、父の腸にできた腫瘍の話なのですが、以前入院して取ったやつは癌ではなかったようです。とりあえず安心しましたが、まだ、その病院では取りきれなかった大きいのが二つ残っているらしく、また今度、一週間も入院して取るそうです。それも癌じゃなければ良いですが、どうでしょうね。なるようにしかならぬのは承知ですが、癌治療となると大変に厄介らしいと聞きますし、なるだけ楽に終わらせてやりたいものです。

八月十五日

これからは更新できそうだなどと書いておきながら、また放置してしまいました。これには理由があるのですが、元を辿ると自分の不手際に行き当たるので、面倒な説明は割愛します。

ブログでブログを更新しなかったことに触れるなんて、一般的な終末期みたいですね。そうならないように、しなければならぬということはありませんが、意思的には、そうしたいと思っています。せっかく、飽き性な私でもなんとか続けられている貴重な趣味の一つですから、大切にしていきましょう。

といっても、特別に書くこともありません。低刺激な日々を過ごしておりまして、夢中になれるものを探しています。子供時分にやったゲームなども、今再び見るとどうでもよく思います。気づかぬうちに、子供らしい楽しみを忘れた大人になっているのかもしれません。それが普通なんでしょうね。任天堂のswitchかSONYのプレステを、近所の電気屋に置いていたら買おうと思っていたのですが、無かったので書いませんでした。なんだこのダサい文。いや、このままでいいか、どうせ誰が読むでもなし。なんにせよ、ゲーム機を買っていても、恐らく続かなかっただろうと思います。

性癖に飽き性だという以上に、今は何に対してもやる気が起きません。別に精神病の再発とか、そういう話ではないと思います。単純に、大学一年生の夏になったというのに、恋人も友達もできない。勉強は面白いがやり難い。おまけにやたら暑くて、体も弱り、今日は焼肉を食ってすぐに胃もたれを起こしました。あわれな日々に気力。まさに気持ちの力を持って行かれています。それで、意欲がなくなっているのですね。私を強烈に奮い立たせる何かが、どこかに落ちていませんか。感動が少ないと思考も減り、人間らしさを失ってしまいます。

バイト先で、新しく話し相手ができました。私は普段、男の子にしか話しかけないのですが、今回の子は女です。女の子にこっちから話しかけて、勘違いされたら面倒じゃないですか。そういう害を被ったことがあるので、女の子に話しかけるのは、なるたけ避けています。そうでなくとも、他の男から「俺が狙ってる子と話すなよ」みたいに思われて、そのまま話してくれなくなると鬱陶しいですからね。いや、面白そうだな。自分は、中学時代好きだったあの子以外には、あまり深く他人に対して思い入れを持たない性格なので、他人のそういう感情を弄ぶのは愉快です。

つまり、先に書いた子は、向こうから話しかけてくれたというわけです。明るくて楽しい子だったのですが、中学時代に一悶着あった子に目元が似ていて、少し嫌でした。しかしまあ、正直なところ、話は他の男の子よりも楽しかったです。仕事も速くて手伝ってくれたのでラッキーでした。

それに比べ、最近入って来た男の子で、関西学院大学に通っているのが居るのですが、こいつはどうも嫌いです。インターネットに毒されているような奴なのです。オバさんの客がタメ口を効くとかで、愚痴愚痴言っていました。Twitterなんかで、コンビニ店員にも丁寧に接しましょう、なんてものが流行るからいけない。典型的な増長型。社会的地位の高低を改変すべく動くのはありがちというか、無くてはならぬ構造的働きだというのは理解できます。しかし理解した上で、タメ口位がなんだと考えるものではないでしょうか。なぜタメ口が悪いのかを聞くと、普通初対面の相手には敬語を使うだろうとのことで。そんなことはないだろうと私は応えました。本当に、何が悪いのかがわからないので、論理的に否定する術も持てません。むしろ酷い敬語を浴びせられる方が、質の悪い気がします。敬語の用いられる意味を思い違えているのでしょうね。そんな場での敬語など、慣習と言語的距離感に帰する問題ですから、客側の意思はマニュアル化されていません。それをどうあるべきだと個人の価値観で固定するのは、甚だ傲慢だといえます。当然、嫌だというのは彼の感覚として実在するのでしょうから、それを否定はしません。実際現表しているものを否定しても良いならば、文法学なんて破綻してしまいますしね。ただ、立場上の優劣に囚われまいとするのならば、その意思があるのならば、実感の原因を手繰って、それなりの答を持っていて欲しいと思います。初対面なら敬語を使えって、学生生活はどうして来たのでしょうね。仲良くなりたい人にはタメ口? 距離感の観点ではそれで良いかもしれません。相手の言語をとやかくする権限も無くなりますけれど。通っている大学も余程馬鹿ということでもないのだから、もう少し考えてから話して欲しい。特に誰かを否定する場合は尚更。安い共感で快楽を得やすい時代ですから、自分を疑うことを忘れがちになるのかもしれません。時代が悪い(笑) 敬語を使われる身分でもないでしょうと言っても雌阻雌訴言っているので「プライドが高いんですね」と言ってやりました。

実際、彼のはプライドみたいな高尚なものではなく、見栄と甘えで片付くべきものでしょう。前に、私が自分の学校名を言わずに彼の学校の話を聞いていたら、異様に得意気でしたし。嫌いです。

八月八日

今日は大阪の梅田という所へ行ってきました。母の原付バイクを借りて五十分くらいかかったのですが、自分の原付なら三十分くらいだった記憶があります。気のせいかしら。

流行り病のせいか、土曜日なのにあまりゴミゴミしていませんでした。何という用事も持たない私も、本来は出かけるべきでなかったのでしょうが、暇だったので。それでも長居は良くなかろうということで、お店を二つ見ただけでとっとと帰りました。メロンブックスと、とらのあなというお店です。知らない人はキモオタの行くお店だとでも思っておいてください。別にわざわざ行かなくても、上記のお店はオンラインショップも開いているので、ネット注文でも買えるのですが、まあ気分の問題ですね。あと、ネット通販では自分が検索したジャンルのもの以外はなかなか目に入らないので、表紙の絵を一望できるのは実店舗の利点かもしれません。もっとも、私はそんなことを意識していませんけれどね。気分が楽しくなるから実店舗に通っています。

高校生くらいの頃は、小さい女の子に性的虐待を加えるような同人誌とかも買っていたのですが、最近はゆりゆりしたやつを探して、次に今気に入っているバンドリと東方の同人誌を見て、最後にR18など全体を眺めてから、良さそうなものを買うようにしています。今日は「やがて君になる」の中谷鳰先生が描いた東方の同人誌と、バンドリから丸山彩ちゃんと白鷺千聖さんが主役の「花の色は」という同人誌、あと「東方輝針城」を買って来ました。今回は百合で良いのが見つからず少し残念です。バンドリの同人誌は表紙で絶対に百合だと思ったのですが、公式にありそうなストーリーでした。悪くはなかったのですが、私が求めていたものとは違いました。残念。それで中谷鳰さんのは怖かったです。怖かったけど良かったですよ、表紙がギラギラで。

輝針城は…… 難しいです。二面の赤蛮奇が首を五つにしたり、五面の鬼人正邪さんが画面をひっくり返すせいでやられまくって、良くても六面道中で終わってしまいます。攻略動画を見ようかなぁ。ちなみに以前買った紅魔郷は、五面の中ボス咲夜さんが絶対に先へ進ませてくれないので怒って投げました。嘘です。輝針城をちょっとやって、また紅魔郷をやっていました。コンテニューありならパチュリーまでは倒せるのですが、咲夜さんが無理です。せめて一度はレミリアに会いたいです。好きな曲は四面のラクトガールなので、もう諦めても良いんですけどね。レミリアも可愛いじゃないですか。

バンドリ。バンドリを久しぶりにやっています。すごく下手になっている。難易度二十八の曲なんて、気を抜くと死んでしまいます。こんなハズではなかったのにと思いながら、なんとか低難易度曲(たしか二十五の曲)で初APを取れるレベルまで回復して来ました。深海少女をAPしたいのですが、絶対に二回グレが出るので怒って諦めましたとさ。

八月六日

今日は髪を切りに行きました。もう何ヶ月も放ったらかしの伸び放題にしていたので、女の子然としていました。右の揉み上げなんかをちよっと耳にかけてみて、暖簾の空いた隙間から右目を覗かせていました。たまに外へ出ると、髪が頭を蒸して困っていました。伸び放題の藪だったのですが、ザクザク鋏を入れられて、ある程度は落ち着きました。母の勧めで、少しアシンメトリーの要素を混ぜた髪型を注文したら、右側の揉み上げを刈り上げられてしまいました。それ自体問題にはならないのですが、少し伸びた時が厄介になりそうです。

その時はまた切ればよろしい。

特段散髪を嫌うわけでもないのですが、難しい本の難解な行を読み飛ばすように、無意識のうちに延期延期のポストポンを繰り返していました。原付バイクで五分程の距離にある美容院。待たされる程の混雑もない美容院。美容師の会話癖を鬱陶しくする人もいるらしいですが、私は別段嫌いではありません。それでもやはり、何か明確な目的を背中に抱えて玄関で靴を履くのは非常に大儀なのです。(靴といっても私はこの時期クロックスを履きますが)なんだか人間らしい怠慢ぶりとも思えますが、理性のない動物的でもある気がします。倫理的な善い悪いはわからないので無視するにしても、面倒だから、嫌だからと何事も未来の自分に押し付けてしまう性癖は好ましくありません。

しっかりしろよ、しっかり。

そんなことを書きつつ、自分自身のことは嫌いじゃないので、これもまた私らしいといえば、そんな感じがして許せるような気もします。というこの記述も含めて初めて私らしいといえるのでしょうか。さらにこういう自分を客観視した風の態度を含めて自分らしい? なんだか太宰の真似事みたいになっております。道化の華ですね。これは高校(高専)生の時に読んで、すごく嫌いだと思った記憶があります。それで太宰治が嫌いになりました。そしてこれが、どういう人間が書いているのかを意識しながら読むと、その産物自体も嫌になってしまう感性の芽生えた原因の一部にもなってしまいました。今では大分改められていますが、やはり知り合いの書くものは基本的には好きになれません。出来栄の善し悪しに関わらず、文の向こうに誰かいる感じが心地良くはないのですね。作為が嫌というと単純化し過ぎで語弊があり、説明が難しいです。かなり話が逸れていますね。何にせよ、年頃のせいかそういう私自身の問題が気に掛かります。

面倒だけど、案外面白いものです。

今日のバイトが終わり、店を出る前にレジに用事ができて寄ったのですが、とても可愛い子がいました。霧吹きで脱色したような髪が肩くらいまであって、黒目は鏡でできた綺麗な女の子でした。刹那的にもその子とどうにかなりたいとは思いませんでしたが、剥製して部屋に飾りたいとは感じました。会話もしない人間相手に感じる欲求は、多少滑らかに動くフィギュアを見るようなものですね。かといって、会話すれば何かわかるわけでもありません。あまり他人に期待していないのでしょうね。寂しい、大丈夫。寂しい。

話が全く変わります。

父の日に二万円のウィスキーを送ったことをここに書きましたか。きっと書いたと思いますから、その体で書きます。そのウィスキーを、父は私が二〇歳になるまで保管しておいて、ほとんど手をつけずにいてくれました。友人にその話をすると、良い父だと言ってくれました。ですが、なんと父は大腸のポリープを摘出する手術を受け、当面はあまり酒を飲めない体になられました。私は飲むに飲めず、仕方がないので放置しています。二万円の酒も、飲まなければただの高そうな陶器です。なんとなく滑稽で面白かったので、ここに書いておきます。あとついでに、父が癌でないことを願っています。

7月25日

長い期間放置していた気がして開いたのですが、案外8日程度のものでした。ならいいかと思いましたが、せっかくなので書きます。眠れないけど暇なので。

といっても、別に暇ではありません。どちらかというと忙しいのかもしれません。学期末試験の代わりにレポートが出ていまして、当然それに頭を悩まされています。今日までに3つ書いたのですが、あと3つは書く必要があります。他にも出されているのですが、諦めました。大学のサイトに資料が更新されていたらしいのですが、全く気付いていなかったせいで平常点が0点なので、もうやる気を失いました。取れそうな単位だけ拾います。それでは20単位も無いので、非常にまずいのですが、もうしかたないのです。自分の無能加減にかなりイライラします。こんなことを書いていたら涙が出て来た。頭が悪いくせになるべく思い描く完璧に近い姿でありたいと思っているので、こういうのがすごく悔しくて、同時にこういうことがあると気力がなくなります。

そうはいっていられませんから、とりあえず日本語の文法についてのレポートを、とても頑張って書きました。動詞に注目した問題2つと、その模範解答を作れというレポートでした。1つは受身にならない動詞(例:要る)と使役にならない動詞(例:ある)についてまとめるようなものを作って、もう1つは「ます」「です」の違いと動詞に付けるときの特徴をまとめました。例えば「ません」「ないです」は否定を表す部分と丁寧さを表す部分の前後が逆ですよね。これが変だね、みたいな話を書きました。なんだそれつまんねと思ったことでしょう。私自身つまらないものになったと後悔しています。でも、もうやる気も湧かないのでそのまま提出しました。その科目のリモート授業自体は面白かったのですが、画面越しにオッサンの話を聞いただけではモチベーションになりませんね。授業は聞いて理解していたんですが、まとめるやる気がない。もったいない気もするけれどしかたない。

次は楽しげなのを書こうと思っています。題材自由なので、「夢十夜」の第一夜がどう夢を表現してるのかとか、そういうことを書く予定です。これはブログ感覚ですぐに字数の下限を超えられそうな気がします。が、やる気がないので今日は

「手をつけられませんでした。」

「手をつけられなかったです。」

前者が自然ですね。「です」を過去を表すためだけに使うわけだ。面白いなあ。

あと今ふと思ったのですが、日本語文法とかいうめちゃくちゃ文系らしい問題について考えるとき、残念なことに理系的な思考をさせられます。ちなみに、夢十夜については色の使用数が多いことに注目する予定です。なんだ、文系なのに理系みたいな考え方してるのね。

日帰り東京

15日、父と二人、日帰りで東京に行きました。というのは、両親が私を癌や入院用の保険に入れたいらしく、その手続きには保険屋と対面での契約が必要だと言うので、出向くことになりました。母親は病気が怖いから保険屋に来させなさいと言いましたが、父親がうなぎを奢ってくれると言うので、私も東京旅行に一票を投じました。久しぶりで中野の原画屋を覗くことも目的でした。

その前日、つまり私が20歳になった誕生日ですが、自分のお酒の許容量がわからないままに、母親がコンビニで買って来たアスティ・アイスを7割くらいと炭酸で割るお酒を6杯程、丑満時まで飲んでから、翌朝7時に起きたら気分が悪くなっていました。飲んでいる時は楽しかったのに、案外お酒に弱いのかもしれません。寝不足も相まってか、家で一回、伊丹空港で一回、羽田空港で一回吐きました。おかげで、口の中で吐き、それを溜めておいて近所のトイレに捨てる技を習得しました。昔ブロンのODでたまに吐いていた頃、そんなことはとてもできなかったので、お酒で吐く方が楽なのかもしれません。嘔吐の勢いが違うように思います。

しんどかった話はこれまで、親にお金を払わせた旅行(?)ですから、楽しかったことを書きます。飛行機に乗る伊丹空港ですが、父親がANAの会員か何からしく、お酒を飲めるラウンジにタダで入れました。飲み放題で、ジュースやお酒のサーバーがファミレスのように並んでいます。ウィスキーや焼酎の瓶も置いてありました。私は当然の権利としてウィスキーを飲んでみました。これは美味しく飲めたのですが、今度は調子に乗ってリンゴジュースで割ってみると、大変気持ち悪い味になりました。不味いので捨ててしまいました。もったいない。

そうこうしていると、飛行機の飛ぶ時間が近づいて来ました。そろそろだと言ってラウンジを出ると、職員の女が話しかけて来ます。なんだと聞くと、私たちの乗る飛行機は搭乗を締め切ったと。なんでも10分前にはゲートを潜らなければならないルールに変わっていたそうです。仕方がないので次便に移して、またラウンジでお酒を飲んで時間を潰しました。

その1時間半後にやっと飛行機を降り、電車を乗り継ぎ東京駅へ。少し歩いた喫茶店ルノアール八重洲北口店で保険屋と1時間ほど話し、ようやっと契約を済ませました。飛行機に乗り遅れたせいでひどく時間のかかった心地がしました。

電車に揺られて40分強、上野毛駅の近所にある金のうなぎという店で、うな重の一番大きいのを食べました。非常に多くて、食べるのが大変でした。愛知の有名な店でひつまぶしを食ったのにも、幼かったせいで感動した記憶はないのですが、今回のはうなぎがご飯に比して余るほど多くて、途中からは白米に気を使ってうなぎを食う贅沢を犯しました。値段は忘れましたが、なかなか美味しかったです。父親は、多分食べきれず残していたと思います。

そこから中野へも行ったのですが、原画屋アップルシンフォニーの品揃えに魅力的なのが見つからず、隣接したまんだらけや目星を付けていた他店の原画や設定資料コーナーも見たのですが、ピンとくる物がありませんでした。もうそろそろ、私の原画収集趣味も年貢の納め時なのかもしれません。桜trickshuffle!の二作、その店で私が注意している原画なのですが、良いシーンの物は多分、もう残っていませんでした。ブロードウェイで金を使わなかったのは初めてです。こんなことなら、手前の新宿に降りて御苑を散策した方が良かったかもしれません。ちょうど雨降りで、言の葉の庭で見た風景に近かっただろう。中学生の頃だから、もう五年ほど前、まさしく雨の中に新宿御苑を訪ねましたが、それらしくて素敵だったので、父にも見せてやれば良かった。彼は中野で退屈をしていました。

中野にはフラストレーションを抱えたまま、17時頃に羽田へ向かいました。帰りの飛行機は19時の便を予約していたのですが、さしたることもなし、早めに行ってラウンジでお酒を飲むという流れになりました。帰りへ向かう電車は何か寂しい心地がしました。たった一日のことですが、小学生の頃に何年か住んだせいで愛着があります。祖父母の家を去る時に感じる種類の、妙な手放し難さで東京を離れました。

大阪のことも当然好きなのですが、東京の風景を見ると、大阪には物足りない何がかあるように見えます。

帰りの飛行機は、父が貯めていたマイルの期限が近いということで、消化のためにプレミアムクラスの席に座らせてもらいました。席が立派で晩ご飯が付き、お酒は飲み放題でした。しかし残念ながら、元々の飛行時間が一時間程度な上に、途中で揺れが大きくなったせいで、晩ご飯を食べきれませんでした。もちろん、うなぎのせいでもあります。食が細いと楽しみが減りますね。

そういうわけで、何にも自分のお金を使わずに東京観光が終わってしまいました。良いことでしょうけれど、お金を使うことや物を手に入れることにばかり楽しみを見出しながら生きて来たので、もちろん楽しかったのですが、全て消えてしまいそうで怖いです。実際、うなぎの値段とかそういう細かいことは忘れつつあります。忘れちまうのがもったいないので、今更ですがこういう風で残しておこうと思います。